6月29日
先日、身近に「他人の心に何かを残し続けた」人がいた、と書いた。私の母方の祖父のことだ。私の父親は婿養子に入ったので、祖父が亡くなるまで同居していた。可愛い孫だった自信はないが、可愛がられていたのは確かだ。

祖父は定時制高校の教師をしていた。ただ、これは私が物心つく前の話で、私が知る祖父は刀剣の収集家で、謡曲の歌い手だった。でも、普段のそんな生活とはそぐわない感じの人が時々家にやって来ていたのはぼんやり覚えている。祖父は保護司をしていたのだ。

保護司とは犯罪や非行に走った人の更正を手助けする非常勤の国家公務員のことで、無給なので実質的にボランティアだ。もっとも、そんなことを理解するようになったのも私が随分大人になってからで、当時は何もわかっていなかった。毎年数百枚単位の年賀状が送られて来て、それが子ども心に尊敬の念を抱かせた程度だから、本当に子どもだったということだ。この数百枚単位の年賀状は、祖父が亡くなった後、何年も何年も続いた。

そして、それから更に何年も経ったある日、それが13年前の今日だ。

その日、私に初めての子である長女が生まれた。夕方4時過ぎ。外は雨だった。築地にある病院の一室で、前の晩から付き添った私はその時を分娩台の前で迎えた。ちょうどその頃、私が生まれ育った荒川区南千住の家では、そぼ降る雨の中、見知らぬ男の訪問を受けていた。

以後は応対した母親の話だ。

私から長女誕生の電話を受ける前、ちょうど生まれた頃にその男は現れたそうだ。労務者風の身なりをしたその男は、皺だらけの1万円札を3枚差し出すとこう言ったという。20年以上前、どうしても金がない時に大西先生に用立ててもらった3万円を返しに来たと。母親はそれを祖父からの出産祝いと言って私に渡した。私はそれを今もそのまま取ってある。

何故その男が20年以上経ってから、急にそれを返しに来る気になったかはわからない。ただわかるのは、祖父がその男の中で20年以上生き続けていたということだ。きっと、亡くなってから何年も年賀状を送り続けた人々の胸の中にも生き続けたに違いない。

私が、人の心に確かに何かを残し続けた人は自分の死後も誰かの中で生き続ける、と書いたのはそういうわけだ。

現に今も、娘の誕生日が来る度に、私はそのことを思い出すのだ。
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by martano | 2006-06-29 00:23 | 社長のひとりごと
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