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クリスマスの朝に
皆さん、メリークリスマス。今年は暖かいですねえ。去年はどうだったかな?

と毎年メモリーの消去スピードが早くなっていて、去年のクリスマスすらよく覚えていない私ですが、中一の息子の記憶は確かなようです。「今年のサンタは去年とは形式が違っていた」って、そーでしたっけ?オトーサンタはもう覚えてねーだよ、去年のことなんか。それにしてもそうなんです、この中一、今だにサンタは実在して、プレゼントを配って回っていると信じているんです。サンタは心の中にいる、というような大人の詭弁じゃなくてね、リアルですよ、リアル。どうやって一晩で世界中に配り終わるかとか、彼なりに一応考えているらしいんです。少なくとも長生きし過ぎだから、人間ではない、とか。時空を超えられるとか。映画の見過ぎだよ、君。

まー、大体元はと言えば、私の秘密工作が毎年芸が細かかったのが原因なので、結局自分のせいだろ、というのはその通りなんですが、今年もやりましたよ、仕方なく。上の高校生二人は大分前に気がついていて(それでも小学校5〜6年ぐらいまで信じていた)、末っ子一人のための裏工作なんですが、まずプレゼントは仕込んだら店に隠す。私なんか毎年そうしていたのも忘れて、スタッフに「お、例年の、、、」とか言われる始末で、それはそれでヤバいことになっているのだが、まあ、忘れても考えることは同じなわけだ。

で、包装はまず全部やり直す。自分で包装紙やリボンは買って来て、敢えて手作り感を出して包装する。袋なんかも使う時は、必ず何も印刷していないものや、敢えて古びた感じのズダ袋みたいなのを使ってね。で、カードも必ず手作りで、英語で書く。だって、サンタって外国人じゃん?多分。会ったことないから。ん?それって私が悪い子だから?ホントはいるの?ウソ、マジ?!

て、冗談はさておき、まあ、敵もさるモノ、いろいろな罠を仕掛けてくるわけですよ。サンタの真贋を確かめようとして質問票を置いておいたり、サンタ用のクッキーとか、トナカイ用のニンジンとか。一番多いときはそれが三人分!?それを全部英語で回答して(字体も流れるような筆記体で。だってそんなイメージじゃん?サンタって)、クッキーは食べて、ニンジンもヘタのところだけ切ってから歯形を残して、ベランダにこれ見よがしに置いておくとか。まー、これまでありとあらゆる事をして信じ込ませようとした最高傑作が一番下の中一の息子ですよ。いい加減に気がつけぇ〜〜〜!

というわけで、今年は少しヒントを与えることにしたんですよ。んー、例えば私自身へのプレゼント(毎年自分で買ってサンタから貰ったフリをしている哀れな中年ですが、何か?)は今年は『マイケル』のCDだったのですが、敢えて山野楽器の包装そのままにしたりとか、カードも、そのカードのメーカーのURLが入ったものにしたりとか。子ども達へのプレゼントも、包装せずにリボンをかけただけで、まとめて大きな布袋に入れたりとか。まあ、そうした結果が冒頭の「今年のサンタは去年とは形式が違う」発言だったのですが、オイオイ、そうじゃなくて、、、。

しかし、まあ、一旦クリスマスイブとなれば、こちとら真剣勝負です。いつ何どきも、子ども相手でも絶対に手を抜かない勝負師としては、犯行現場を見つかってバレるようなヘタレなことは死んでもできません。何喰わぬ顔でチャンスを待ちます。去年は確か、「絶対にサンタの尻尾をつかんでやる」と、寝ないで粘っていた息子の一瞬のスキを突いてミッション完了。今年も長期戦になるかと思いきや、意外に早く寝たようで、2時半頃に様子を見たら、完全に寝入っていたのでそこからミッション開始。例によって質問票が、お、今年は英語?How much do you weigh?!失敬な。Can you fly?って、、、。

まあここでウロチョロしていて見つかっては大変なので、とりあえず質問票だけ持って書斎に戻り、回答を書くことにする。回答用のシャープペンが置いてあったけど、これは使わずにサインペンを使う。回答を書き終わってから、プレゼントと共にツリーの元に戻り、サンタ用に置いてあったバナナケーキとトナカイ用のニンジンを回収。さすがに今年は歯形つきのヘタはやめにしておいてミッション完了。さっさと寝る。

さて翌朝。さっきですよ。息子が寝室にやって来て、「サンタ、来たよ。パパのもある。」と声変わりした声で言うもんだから、横でカミさんが必死で笑いをこらえる。私も寝ぼけたフリをして、とぼけるだけとぼけておいて、自分のプレゼントを空け、また寝たフリをする。と、息子がいろいろ喋っている。

「Can you fly?って聞いたらNo, I can'tって書いてあったよ。その後は何だか読めない。」

「(それはReideerと書いてあるのだ、息子よ。トナカイが飛べるの。この前そんな映画見たでしょ?)」

「僕のシャーペン置いておいたんだけどさ、ないんだよねえ、持って行っちゃったのかなあ?」

「(ギクッ)」

ヤバい。そのシャープペンは私の書斎のデスクの上。まあ、それを見つけて、論理的思考ができれば、真犯人は推理できるはず。それもいいかと思い一瞬逡巡するが、イヤ、そういう細部からバレるのは良くない。細部にこだわらないと、大きなファンタジーは作れないことはディズニーが証明しているではないか!と思い直し、まだシャープペンのありかに気がつかない息子の一瞬の隙を突いてシャープペンを回収。何気なく玄関のドアの下の落としておく。

あまりに素早い動きに驚いたカミさんに「どうしたの?」と聞かれ、事情を説明しながら布団に潜り込む。「気がつかないんじゃない?」と妻が呟いた1分後、玄関から声が。

「あっ!」
「そうか、わかった。間違えて持ってっちゃったんだけど気がついて、二階に戻るのが面倒臭いから玄関に置いといたんだ!絶対そうだ!」

「(息子よ、なかなかいい推理だ。)」

「サンタね、来年も来るってよ。聞いたらそう書いてあった。」

「そうなんだ。良かったじゃん。
(多分ね、君が信じている限りは来ると思うよ。
 君の息子にもね。
 それからずっとその先も。
 だからサンタはきっといるんだよ。
 目に見えないだけさ。)」
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by martano | 2010-12-25 10:33 | 社長のひとりごと
お金と市場、経済のこれから
そもそも、お金とは何か?

お金とは、価値の交換を媒介するものです。経済とは、価値の交換の総体だと私は捉えます。つまり、全員が完全に自給自足で、誰とも価値を交換しなければ、経済自体存在しない。厳密に言えば、生産が発生する段階で経済は発生するのでしょうが、交換が発生しなければ、誰もその生産物に価値をつける必要もなく、価値が生産されなければ、何もないのと同じと考えます。ですから、経済の本質は、価値の交換であるというわけです。

もし価値の交換が一切発生しなければ、お金は必要なかったでしょう。貨幣の歴史を辿れば、価値の交換方法としてまず物々交換が行われ、やがて便利な媒介物として貨幣が使われるようになりました。貨幣は持ち運びしやすく、共通の単位として機能します。それにより様々な価値が量られ、値段という価値判断基準を生まれました。いつしかお金は、交換し得る(と信じられている)全ての価値を背景に、それそのものが価値のあるものかのように使わるようになったのです。

しかし、本来、お金はそれに対する信用がなければただの紙切れです。誰もが価値を認めるものでなければ貨幣として信用されなかったのは、実はそう遠い昔の話ではありません。1ドル=1/35トロイオンスの金との交換を保証し、各国通貨が固定相場でドルにペグされていたブレトンウッズ体制までは、理論的には全ての加盟国通貨には金の裏付けがあったわけです。しかし、1971年にニクソンがドルと金の交換を停止し、ブレトンウッズ体制が崩壊すると、お金の発行母体、つまり各国政府への信用が金に代わって通貨の裏付けとなっています。

では、各国政府への信用とは何でしょう?何故我々はそれを信用できるものとするのでしょう?

それは、各国政府が国民を代表しているからです。もっとわかりやすく言えば、各国政府が発行する各国通貨への信用は、基本的にはその国民の生産性がそれを保証します。多少の誤差はありますが、各国の通貨の発行量というのは、大体においてその国のGDPに比例します。ということは、現代のお金の本質は、人間の労働力ということです。


現在起きていること

ここに一つの数字があります。現在の世界金融資産の合計は2006年のマッキンゼーレポートによると167兆ドル。世界GDPの58兆ドルの3倍以上もあります。もしお金の裏付けが人間の労働力とすると、お金が多すぎないでしょうか?何故そうなったかはここでは詳述しませんが、問題はその状況と、現在の経済状況とのギャップです。

通常、お金がその裏付けを超えて発行されると通貨の価値は下がります。従来前提としていた交換比率が維持できなくなるからです。ブレトンウッズ体制が崩壊したのもまさにそれが原因です。ベトナム戦争を背景とした財政赤字のため、アメリカが金保有量を超える大量のドルを発行せざるを得なかったのです。結果的にドルも暴落しました。

現在もドルは下落していますが、それもやはりアメリカの生産力に対するドルの過発行という意味で同じです。しかしここで指摘したいのは、世界の通貨全体を見れば、必ずしもお金の価値は下がっていないということです。むしろデフレ傾向にあります。逆にお金の裏付けである人間の労働の価値は低落傾向にあります。本来なら過剰流動性が労働市場に流れ込み、インフレを誘発しそうなものですが、全く逆です。一体何が起きているのでしょう?

これはつまり、労働賃金を押し上げるほど、お金と労働力の交換が行われていないということです。つまり、お金は余っていても、それで労働力を買おうとはしていない。理由は簡単です。今の資本主義では、労働力は単にコストでしかなく、最小化するのが正しいからです。人に投資する時は、それ以上の利益が見込める時だけで、あくまでも分母を増やし、人件費率は低く抑える前提は変わりません。

ここで一つのパラドックスに突き当たります。お金を裏付けているものは人々の労働力、つまり、それを使って人々を動かせるという力を行使してのみお金たり得るのにもかかわらず、それをコストと見なすシステムによって最小化され、お金だけを増やそうとしている。だから行き詰まっているのです。


これからの方向性

お金とは、それを持って人々を動かすことができるという意味で、非常に大きな力を持っています。だからこそ、お金を持つ人が、それを使ってどう人々を動かすか、ということは非常に重要です。各国政府、大企業、個人のお金持ちなどが、そのお金の力を正しく使えば、確実に幸せの数を増やせるのです。

「幸せの数」という言葉を私は敢えて使いましたが、非常に抽象的な言葉です。もちろん、統計のように数えられません。ただ、幸せの数が増えたか、減ったか、例え統計は取れなくても、我々は実感としてそれを感じることができるのではないでしょうか?この他にも、「愛」、「正義」、「伝統」など、眼に見えない、量れない、しかし、確実に存在する価値があります。

残念ながら、今の市場原理に基づく資本主義には、これらの価値を考慮に入れる機能は全くありません。市場化というのは、価格化できる価値のみの需給一致点を決めるシステムで、数値化できない価値は算入できないからです。その結果、「愛」や「正義」など、恐らく資本が儲けるだけの仕組みに歯止めをかけ得る最も大事な価値が除外されてしまっているのです。

それだけではありません。市場原理主義は経済効率の名の下、お金で量れない価値を暴力的に浸食し、破壊してしまうのです。この10年で、多くの価値が破壊されるのを我々は目の当りにしてきました。それを自由化の流れ、自己責任、自然淘汰として諦める風潮にありますが、本当にそれでいいのでしょうか?

自由化とは誰にとっての自由化だったのでしょう?既得権者が自由に活動できるようになっただけではないでしょうか?自己責任とは、選択の自由があって初めて言えることです。我々に選択の自由は増えたのでしょうか?我々は自然界に住んでいるのではありません。自然淘汰に任せず、守るべきものは守るのが人間界だと思いますが、違うでしょうか?

私は今こそ、システムを根本的に変える時期だと思っています。市場化によって除外されてきた、たくさんの眼に見えない価値観を社会システムの中に取り入れ、より長期的な視点に立った方向性を出して行く。それをやるのは市場ではありません。我々自身の哲学を政治に反映することによってのみ実現可能です。

今だに政府の大小や、規制強化や緩和かなどという時代遅れの議論が消えませんが、問題はそんなことではなく、いかに明確な方向性を適正な政府支出と法律で出して行くかです。お金で量れる価値しか等式に入れられない市場にはそれができないから、政治がそれをやらなければならないのです。我々にできることは、その方向性の議論を勉強し、参加し、情報発信して広めること。こんなブログもその一環で書いてます。

もう皆さんはわかってらっしゃると思いますが、お金に換算できない大事な価値は、我々の心の中にあります。正しい方向性が示され、その方向にお金が動けば、短期的には市場に反するようなことでも、きっとたくさんの人の心を動かすと思います。人の心が動けば、人々は動き、きっとお金も後からついて来ます。人のいないところに、お金はないのですから。
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by martano | 2010-12-14 17:56 | 社長のひとりごと


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