カテゴリ:マルターノストーリー( 17 )
マルターノストーリーvol.2〜2005年末、序章
 その場所は田園都市線藤が丘駅前、金網に囲われながら全く気配を消すかのようにひっそりと存在していた。ロータリーに面した土地で普通なら目立つはずの場所だが、後ろの病院から丘陵上に続く原っぱはとても自然に病院と対をなして見え、そこに数年前にはビルが立っていたとは思えないほど景色に溶け込んでいた。人の記憶はひどく曖昧で、簡単に新しい記憶に更新される。そう、この男、オオニシが2年前にオープンした江田のマルターノのある場所がかつて駐車場だったことも、そしてマルターノ藤が丘店がオープンするこの場所が原っぱだったことも、直に人々の記憶の彼方に消え去るに違いない。

 マルターノが江田にオープンしてから1年半ほどが経った。実はこの場所にマルターノの二号店がオープンすることは早い段階から決まっていた。オープン当初から店舗展開を決めていたオオニシは、すぐに借地契約をしている東急電鉄の担当者に次の物件の紹介を依頼していた。そこへたまたま計画中だった病院のテナント物件建築計画を紹介され、その立地を見て彼は出店を即決したのだ。オープン後間もない出店計画だったが、オオニシにとっては非常に魅力的な条件に思えた。ところが実際には事はそう簡単に進まなかった。

 まずオオニシを一番悩ませたのは建築計画の細部が決まるまで時間がかかったことだ。まだ計画段階だったため、あらゆることに変更の余地を残しながら、しかもゆっくりと進んで行く。建築主が病院という大きな組織であるせいなのか、意志決定にかなりの時間がかかる。そのうちに条件も次第に変わって行った。特に一番大きな変更は、元々平屋建ての一階部分と聞いていた条件が、下にコンビニが欲しいからという理由で、いつの間にか二階建ての二階部分という条件に変わったことだ。これにはさすがにオオニシも一時出店を考え直さざるを得なかった。

 それでも諦めずに出店計画を続行した理由は、正しい判断をすることよりも走り続けることを優先させた、と言えばよいのだろうか。その都度正しい判断をしようとすることは大事だし、そうしなければいけないのも確かだろう。しかしそれが正しい判断かどうかわからないことは多いし、やってみなければわからないことも多い。だからとりあえず走り続けさえすれば、躓いても転んでも何とかヨタヨタと修正しながらも前に進める、そんなヨタヨタぶりに妙な自信を持っていたからなのかもしれない。

 結局オオニシは、ある条件を病院に出し、それが受け入れられたら計画続行という腹づもりで臨むことにした。その条件とは、二階へ通じる階段の他に、バリアフリーのスロープを設置することだ。何しろ相手は病院だ。病院がオーナーである建物がバリアフリーでなくてどうする?という論法で押し切る作戦だった。結果的にこれは上手く行き、めでたくスロープがつくことになったのだが、さすがにそこまで言った以上、店にもきちんとバリアフリーのトイレを設置せざるを得なくなり、コスト的には痛し痒しの結果となった。

 最終的に全ての条件が整い、工事計画もきちんと決まった頃には2006年も明けようとしていた。新しい店のコンセプトは「周辺のお客様の生活を豊かにする店」。そのための仕掛けを数々施しながら2006年9月のオープンを目指し、マルターノ藤が丘店の出店計画は次第に形を現して行った。その中で、江田店でも最もシンボリックな存在としての壁画、新しい藤が丘店でもやはり最もシンボリックな存在として、その壁は存在しなければならない。そこに描かれる人物。それはもはや彼らしかあり得なかった。

そう、全ての始まりのきっかけを作った、ナイル・ロジャース&CHIC。
彼らを壁に描くこと、それは彫師に入れ墨を彫らせるようなもの。
消せない決意表明。

そしてそれはまだ序章に過ぎない。
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by martano | 2007-09-06 03:13 | マルターノストーリー
約束したからね!
a0051884_1749365.gif昨日、ナイル・ロジャース&シックのファイナル、最終日の最終公演に行って来ました。それまで一緒に連れて行ったうちのスタッフ達には申し訳ありませんが、それまでをはるかに凌ぐ盛り上がりを見せていましたね。もう、出て来た途端に総立ち、ボーカルのシルバーは客を数珠つなぎにして会場を回るわ、リズムセクションもそれまでやらなかったフレーズを入れて遊ぶわで、あるもの出し切った感じです。それ以上詳しくは書きませんが、本当に楽しかったです。でも、一方で、昨日はきっちり社長としての仕事(?!)もしてきました。その成果がこの写真です。

まず、一番左上、ピンクのところに書いてあることが一番肝心な部分です。"To Onishi If you build it, we will come. "CHIC" Nile Rodgers"(大西へ。もしそれを作れば、俺たちはきっとやって来る)例のField of Dreamsという映画の有名な台詞をもじったものです。(つまり、マルターノライブハウスを作ればナイルがやって来る!)そして、その下にあるのがメンバー全員+1人のサイン。^^)v 半ば強引にお願いしてナイルに書いてもらったので、誓約書としての効力は多分全然ない(笑)ですが、ライブハウスだってないんだから、今の時点では上出来でしょう。

メンバーを一人一人をつかまえて、全員にサインしてもらうのに結構時間がかかったせいで、駐車場から車を出せなくなって、タクシーで帰る羽目になりました。(笑)でもこうして見ると、そのぐらい何でもない気がします。それぞれの番号のサインの主は以下の通りです。この中でも超レアなのが最後の12番、Diva Grayです。この人は実はCHICのオリジナルメンバーの一人で、昔の音源のDance,Dance,Danceなどでその声を聴くことができます。この日、会場の後ろの方に座っていたのを、アンコールでSylverに引っぱり出されてステージに上がったのです。そこで彼女が帰りかけた時にすかさずサインをもらっておきました。間違いなく私だけだと思いますよ。いつか、このサインが伝説の誓約書になるよう、頑張りましょう。(スタッフ諸君)

ちなみに、このサイン入りメニューはきちんと額に入れて店に展示するつもりなので、実物を見たいという方は是非お店にお越しください。

1.Nile Rodgers(g&vo)
2.Steven Jakowski(tp)
3.Rich Hilton(key)
4.Jerry Barnes(b)
5.Jessica Wagner(vo)
6.Sylver Logan Sharp(vo)
7.Omar Hakim(ds)
8.Bill Holloman(sax)
9.Gerardo Velez(per)
10."Sweet" Cherie Mitchel
11.To Onishi If you build it, we will come. "CHIC" Nile Rodgers
12.Diva Gray(vo)
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by martano | 2006-04-17 18:58 | マルターノストーリー
Field of Dreams
a0051884_0414995.jpgナイル・ロジャース&シック@ブルーノート東京へ行って来ました。音楽評論家の吉岡さんとカルタの津山さんと一緒でした。明日、明後日とマルターノのスタッフを連れて行くので詳しい話はその後で書きます。でも、敢えて言うなら、皆さん、観た方がいいです。

さて、この写真ですが、皆さん、読めますかね? ナイル・ロジャース本人に書いてもらったものです。銀色のマジックだったので読みにくいのですが、"To Martano Good Luck from CHIC Nile Rodgers"と書いてあります。

サインの列に並んで書いてもらったのであまり話す時間はなかったのですが、ライブハウスプロジェクトのことを話して、いつか出演してくれと言ったら、笑って書いてくれたのがこれです。「全然本気にしてねーだろ、ナイル!」って感じですが、まあ、そうですわな、普通。

でも、「フィールドオブドリームスって映画観た事あるよね?」って聞いたら、「もちろんさ、"If you build it, he will come"だろ」ってすぐにわかってくれました。観た事のない方のために説明すると、ケビン・コスナー扮する主人公が、"If you build it, he will come."(もしそれを作れば、彼はやってくるだろう)という不思議な声を聞いて、トウモロコシ畑の真ん中に野球場を作ってしまうんです。そのやってくる彼というのが、伝説の選手シューレス・ジョー・ジャクソンで(もう死んでるのに)、本当に奇跡が起きるというようなファンタジー映画です。(詳細うろ覚えで微妙に違っていたら失礼)

つまり、我々にとってのField of Dreamsがマルターノライブハウスで、シューレス・ジョー・ジャクソンがナイル・ロジャースというわけです。本当に彼は来てくれるのでしょうか?(少なくともナイルは生きてるからね。)

フィールド・オブ・ドリームス
/ ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
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by martano | 2006-04-12 01:03 | マルターノストーリー
エンツォ・マルターノ氏、ついに初来日
ピッツェリア・マルターノのルーツを作った男、エンツォ・マルターノが2006年4月1日、ついに初来日を果たしました。マルターノ氏は現在72才、あんな顔して乙女座です。

オオニシが自分との出会いをきっかけに日本でピッツェリアを開いたと聞き、かねてより来日を希望していたマルターノ氏ですが、「オープン後しばらくは味が安定しない。1〜2年経ってから喰いに行く。」と頃合を見計らっての来日となりました。

来日にあたり、エンツォは、「妙なピッツァを焼いていたら、バラバラにして窯に放り込んでやる」と語っていたそうですが、うちで使っているガス窯のメーカーが元々火葬場の窯を作っている会社だと知っての発言だとすると、リアリティがあり過ぎてちょっと怖いです。

さて、店内異常な緊張の中、全長10メートルの特注リムジンで直接成田空港から来たエンツォは、マルターノに着くなりオオニシをガッシリと抱擁、顔をマジマジと見ながら一言、「お前、年喰ったな。」

いや、それはお互い様でしょ、ってことで早速カウンターにどっかと座り、何も言わずに肩をすくめて見せると、それは「早く焼け」との合図。

はいはい、じゃあ、店長のノムラ、焼いてくれと合図を出すと、「大丈夫なのか?」という目でギロリの睨むエンツォ。何か空気が張り詰めているなあ^^;)と思いつつ、大丈夫と親指を立てて見せると、一応納得したような顔をしてニヤリ。これで出来が悪かったらバラバラにされて窯に放り込まれるのはノムラか?(いや、やっぱ俺だな、きっと)

緊張の中、ノムラが伸ばしとトッピング。やけに淡々としてるけど、わかってんのか?バラバラにされて窯に放り込まれるんだぞ。そのメガネだって、きっと跡形もないぞ。そんなことを考えつつ、焼きを待つこと1分少々。見事に焦げ上がったマルゲリータが上がりました。これなら大丈夫そうです。

いつもはカットして出すピッツァもこの時ばかりはそのまま出します。「エ ピッツァ マルゲリータ」。ちょうど22年前のあの時のように。

でも今後は立場が逆、エンツォが食べる番です。あの時の私と同じ様に真剣勝負の面持ちでピッツァにナイフを入れます。一切の無駄を排した動きで手早くピッツァを口に運びます。時が止まったかのように黙って周囲が見つめる中、一口、また一口と食べ進み、ついに全てを平らげた時、エンツォは大きく何度も頷きました。そして立ち上がるとオオニシの両肩をがっしりと掴み、その目を覗き込んでこう言ったのです。「こいつは本物のピッツァだ」

その後は、ワインなども開け、店のスタッフも集まって賑やかな会食になりました。エンツォは終始上機嫌で、今後のこと、特にマルターノの将来の計画について聞きたがりました。そしてこう言ったのです。「お前には良い仲間がいるようだ。だからきっと成功するだろう。」

何とエンツォはそのまま成田へ引き返し、飛行機に乗って帰ってしまいました。最後にこんな言葉を残して。

「いいか、ぐずぐずするな。チャンスは一度きりだ。来年の4月1日にまた戻ってくる。お前の新しい店のピッツァを喰いにな。でなきゃ、バラバラにして窯に放り込んでやる。」

来年の4月1日が楽しみです。
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by martano | 2006-04-01 23:19 | マルターノストーリー
6次の隔たり (その2)
注:お読みでない方は(その1)からどうぞ

それは昨日のことです。

事務所で仕事をしていると、店長のノムラから電話がありました。
マルターノストーリーを読んで、是非私に会いたいとおっしゃる方が東京からお越しになるので、店に出て来られますか?とのことでした。

それがどんな方であれ、マルターノストーリーを読んで興味を持っていただける方なら、勿論私はお会いしたいと思います。そこでノムラに、ご来店されたら電話してくれるように頼み、8時半過ぎ頃に店に出向いたのでした。

私が店に到着した時、その方はお連れのお客様とメニューをご覧になっている最中でした。私はご注文が終わるのを待ってテーブルに赴き、自己紹介をして名刺を差し出しました。その方もご自分の名刺入れから名刺を取り出し、私に渡してくださいました。

そのお名前を見た瞬間、私は何が起きたのか、瞬時に理解したのです。

お名刺には、「Soul Searchin' 吉岡正晴」と書かれてありました。
そうです。私がほんの2週間前にアップしたブログ記事、物語の背景にあるもう一つのリアルストーリーの中で紹介した、ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズの友情のストーリーを書かれたご本人が、ブログとマルターノストーリーを読んで、わざわざ私に会いに来てくださったのです。

吉岡さんは、数々のライブ評、ライナーノーツ、訳書を手がけ、インターFM(76.1)でもSoul Blends(日曜14時〜17時)という番組を持たれている筋金入りのソウルフリーク系音楽評論家です。(吉岡さんのホームページは→こちら

あのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズの物語も、実際にナイルが日本に来た時に、直接本人にインタビューして書かれたそうです。ストーリーの中で、バーナードの訃報をファックスで受け取った「私」というもの、吉岡さんご本人です。

大抵のことでは驚かない私も、この事の成り行きには唖然とせざるを得ませんでした。確かに、吉岡さんがご自分の著作物について検索すれば、マルターノがヒットするのは理論的にわかります。ただ、もし吉岡さんが2週間以上前に検索をかけていれば、永遠にその機会は失われていたかもしれません。もし、私が吉岡さんの書いたストーリーにリンクを貼らなければ、そもそもこの出会いもなかったでしょう。

吉岡さんご自身も、この偶然に何か強いものを感じとっていただけたからこそ、こうしてわざわざすぐ(読んだ翌日)に会いに来てくださったのです。そうして私たちは、音楽のこと、店のこと、ライブハウスのことなどについてあれやこれやと話し、いつかこの偶然を必然に変えるべく、まだちょっと遠い夢、でも少しずつ近づいてくる夢に思いを馳せたのでした。

吉岡さんのブログも是非ご覧ください
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by martano | 2006-01-12 12:56 | マルターノストーリー
6次の隔たり (その1)
世界中のどの人にも、たった6人の知人を介してたどり着くことができると言ったら、あなたはそれを信じますか?

ミルグラム博士という社会学者が40年近く前に発表した理論で、当時は「アメリカ中のどの人にも」と範囲も少し違っていたようですが、これを「6次の隔たり(Six Degrees of Separation)」と呼ぶそうです。もし本当なら、40年近く経って、これだけネットが発達した社会においては、「世界中のどの人にも」と範囲を広げても大丈夫かもしれませんね。

さて、ここで問題です。
私がナイル・ロジャースにたどり着くには一体何人の知人を介せばよいのでしょう?

答えは「一人」です。

いいえ、これはトンチ問題ではありませんので、人差し指を舐めて、坊主頭をグルグルしてもダメです。(古い!)一体どういうことでしょう?

その話の顛末はまた明日。(その2に続く
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by martano | 2006-01-12 03:13 | マルターノストーリー
物語の背景にあるもう一つのリアルストーリー
マルターノストーリーを読んで下さった方は、これはどこまで本当の話なのだろうと思われるかも知れません。実は、このストーリーの中で唯一フィクションなのが、マルターノ氏なのです。(ちなみに、アメリカにゴッドファーザーズピッツァというチェーンは実在しますが、ストーリーの中に登場するピッツァチェーンとは何ら関係ありません。)

なあんだ、と思われるかも知れませんね。一番肝心なところがフィクションじゃないか、と。

でも、ちょっと待ってください。実はこのストーリーの一番肝心な部分は、”まだ始まっていない”のです。いえ、正確に言いましょう。”まだ始まれるかどうかもわからない”のです。

2005年末現在、このマルターノストーリーは第一幕まで、つまり、マルターノオープンから1年までのストーリーが公開されています。時期的には、今から数カ月前の話です。その中でマルターノ氏は店のロゴにもなっていますし、重要なキャラクターですが、これはあくまでも物語の序章に過ぎません。

物語の本編は、これから始まります、リアルタイムで。

それはつまり、この田園都市線沿線に着実に店を増やし、最終的に大人のライブハウスを作り、そこにナイル・ロジャースを呼ぶ、という途方もない夢との格闘の物語です。

だから、現段階では、「まだ始まれるかどうかわからない」。でもそろそろ書きはじめます、第二幕を。何だか始まりそうな予感がするから。

改めて考えてみて、私が1979年、シック全盛の頃にアメリカにいたことも、2003年4月18日、バーナード・エドワーズの命日にブルーノートに行った事も偶然ではないような気がします。

私がこんなことを文字にし、公開するのは、皆さんの中にも、「もしかしたら」と思ってくれる人が出てくるかもしれない、と思ってのことです。そんなことを考えてくれる人が多ければ多いほど、実現の可能性が増すのではないかと。

そんな方々に是非読んでいただきたいリアルストーリーがあります。
吉岡正晴さんが書かれた『Soul Searchin'』という著書にあるナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ(シック) 〜友情という名のメロディー〜というストーリーです。(ネットで公開されているのでリンクしました)

この物語の延長線上のどこかで、マルターノストーリーが交差し、そこに『Good Times』というライブハウスが誕生することを夢見て、皆さん、しばらくおつき合いください。
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by martano | 2005-12-28 17:59 | マルターノストーリー
2005年4月〜現在
(全文はこちら→)

ピッツェリア・マルターノのオープンからあっと言う間に一年が過ぎた。全く無名のピッツェリアとして江田の住宅地の真中にオープンした店を、いかに周辺の人々に愛される店に育て上げるか、それが当面の課題だった。それに対する明確な答えはないものの、とりあえず止まることなく動き続け、何とか一周年を迎えた。

思えばこの一年間はダメを出し続けた一年でもあった。あらゆることにダメ出しし、その改善を試みた。しかし一年という時間はあまりにも短く、とても満足できるレベルには達していない。それでも、何とかピッツァの味だけは、記憶を頼りに改善を続け、何とかあの味を再現することに成功していた。

そんな中、思いも寄らない事態が発生する。何と小麦粉を輸入している諏訪角商店が、サンフェリーチェの輸入をストップすると通告して来たのだ。サンフェリーチェのアズーロピッツァは実は非常にデリケートな小麦粉で、高温多湿に非常に弱いのだ。このため前年の夏、大量のロスを出した諏訪角商店が一時輸入を見合わせるという決定を下した。

この決定は理解できるものではあったが、直ちに受け入れられるものではなかった。何故ならこの粉で作ったピッツァと他の粉で作ったピッツァとでは、味、香り、食感全てが決定的に違っていたからだ。オオニシの選択肢は2つ。代替の粉を探すか、サンフェリーチェの入手ルートを探すか、だった。

オオニシの決断は後者だった。オオニシは諏訪角商店と交渉し、空輸による1トン買いきりという条件で輸入代行を依頼した。ピッツァの原価は倍に跳ね上がり、保管リスクも全て負うという苦渋の決断だったが、オオニシはあくまでもサンフェリーチェの味にこだわった。

現在のところ、この決断の成否はまだ出ていない。その答えは来店してくださるお客様だけが知っている。だが、これだけは確かだ。日本中探しても、マルターノのピッツァはマルターノでしか味わえない。それほどこの粉は他とは違うのだ。

このことがあって、オオニシはついに腹をくくった。今までネット関連事業を本業、飲食事業を副業などとうそぶいていたが、当然そんなことでは勝負できない。どこまで行けるかわからないが、全力投球、全速前進あるのみだ。

果たして目論みどおり店は発展するのか?ナイル・ロジャースは呼べるのか?それは誰にもわからない。

マルターノストーリーはまだ始まったばかりだ。

(続く)
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by martano | 2005-11-26 20:36 | マルターノストーリー
2004年4月27日、オープン
(全文はこちら→)

そう思ってから約1年が過ぎた。

あれからの展開は驚くほど速かった。転機を迎えたと確信したオオニシは、すぐさま次の準備に取りかかった。次のチャレンジのテーマは、あの時ブルーノートでタイムカプセルから取り出した様々なものが材料だった。

明るい陽射し、リラックスした生活、美味しい食事、楽しいこと、遊び、懐かしいこと、Good Times、Good Music、そしてリアルな体験。これら全てを一つのビジネスにまとめ上げるのは少し時間がかかりそうだ。そう思ったオオニシは、一つずつステップを踏むことにした。

まずは、最終的に何をしたいかを考えた。もし自分にふんだんに使える資金と人脈があれば何をするか?答えは明白だった(ただし途方もないアイデアではあるが)。それは、この田園都市線沿線にブルーノートのような大人のライブハウスを作り、美味しい食事、素晴らしいライブミュージックを融合することだ。

もちろん残念ながら、オオニシにはそんなお金も人脈もない。そこで、まずはその原型となりそうな小さな箱から始めることにした。ライブミュージックはまだ無理だ。ならば、楽しく美味しい店から始めよう。そう考えたオオニシの脳裏をよぎったのは、あのスキンヘッドのいかつい男、エンツォ・マルターノの顔だった。

あの時食べた本物のピッツァの味、あれを再現してみよう。そして、それを多くの人に味わってもらい、楽しい時間を過ごしてもらうのだ。そう考えたオオニシは失われた記憶を辿り、あのピッツァの作り方を思い出そうとしていた。生地の仕込み、発酵、焼き方などの手順は体が覚えている。しかし、使っていた小麦粉、イーストなどが思い出せない。特に小麦粉だ。そこで当たり前のように使っていた粉が、どんな銘柄だったのかがわからない。確か青い袋の真中に、ピエロのような男の絵が描かれていた。

a0051884_20355466.jpg小麦粉の捜索は困難を極めた。ネットでfarina(イタリア語で小麦粉)というキーワードで検索しても大量にヒットするだけで、見覚えのあるパッケージは見つからなかった。ほぼ諦めかけた時、ダメで元々と、日本語で検索をかけてみた。すると見つかったのだ。見覚えのある青い袋、ピエロのような男がピッツァを持っている絵。確かこんな絵だった。それを何と、長野にある食材会社がそれを輸入していたのだ。オオニシはすぐに長野へ向かった。

長野にあるその会社は諏訪角商店といって、チーズやピッツァ関連の食材、機材などを専門に輸入販売している会社だった。小麦粉の名前はサンフェリーチェのアズーロピッツァ。4世代にわたりナポリで製粉業を営んできたサンフェリーチェ社のピッツァ専用粉だった。改めてその粉で焼いたピッツァを長野で食べたオオニシは確信した。これだ。これに間違いない。

この粉で焼いたピッツァを多くの人に味わってもらおう。そして、少しずつ店を拡大し、最後には良質なライブミュージックと融合させる。そしていつか必ず、ナイル・ロジャース&シックを始め、多くの一流ミュージシャンを呼ぶのだ。こうしてオオニシの途方もないプロジェクトが始まった。まずその一軒めの店の名前はピッツェリア・マルターノ。あのいかついスキンヘッドの男が壁一杯に描かれた店だ。
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by martano | 2005-11-26 20:33 | マルターノストーリー
2003年4月18日、ブルーノート東京
(全文はこちら→)

その日、オオニシは幼稚園の年長になる次男を幼稚園に見送ると、藤が丘にあるスターバックスコーヒーへ出かけた。この、オオニシにとっても思い出深いシアトルで生まれたコーヒーチェーンは、またたく間に日本中の都市部に拡がり、コーヒーを飲む一つのスタイルを確立していた。

ここには人を引きつける何かがある。オオニシは来る度にいつもそう思うのだ。確かにその独特の雰囲気や空間作り、接客スタイルが人々を魅了しているだろうことはわかる。ただ、具体的に何が、と一つ一つ指摘しようとすると、なかなかこれが難しい。それが面白いのだ。それこそ賛否両論あるコーヒーの味も、「アメリカナイズされたイタリアンバール」という視点で見ればこれも興味深かった。

さて、話を戻そう。

あれから7年が経った。長女の幼稚園の送り迎えから始まったオオニシの新生活は、長男の送り迎え、そして次男の送り迎えと代替わりして、来年には親子共々卒園だ。その間に、無収入だった自身の会社も、インターネット関連の仕事で次第に利益を生むようになり、この頃にはかなりゆったりとした時間の使い方ができるようになっていた。この日も、後でゆっくりと昼食をとってからメールで用事を済ませ、夕方から青山のブルーノート東京へ出かけることにしていた。

それは昨晩遅くJ-Waveのラジオ番組「ソウルトレイン」を聞いていた時のこと、あのナイル・ロジャースがバンドを引き連れて来日、ブルーノートで公演していることを知り、思わず予約を入れたのだ。

オオニシはゆっくりとコーヒーを飲みながら、その晩のことを考えた。彼の演奏を生で見るのは初めてだ。どんな公演になるのだろう?

ネットで場所を調べてから最寄りの表参道駅に着いたオオニシは、はて、と考えた。以前もブルーノート東京には行ったことがあるのだが、こんなところだっただろうか?実は後で調べてわかったことだが、ブルーノート東京は1999年に現在の場所に移転していて、オオニシが行ったのは以前の店舗だったのだ。

初めて訪れた南青山のブルーノート東京は、その雰囲気からして、オオニシの感性にストレートに訴えかけるものだった。シンプルで重いガラスドアを開けると、いかにもヒールの響きが良さそうな、よく磨きあげられた琥珀色の木の床が出迎えてくれる。

ほの暗い明かりの中、過去にここでプレイしたアーティストの写真を眺めながら階段を降りると、そこには小さなホールがあり、ほとんどが30代以上と思しき男女が、程よいお洒落をして、リラックスした様子で入場を待っていた。そこに漂うどことなく優雅な空気は、まさに大人の遊び場と呼ぶのに相応しい雰囲気を醸し出していた。

テーブルチャージと引き換えに渡される整理券の番号は若い順に呼ばれ、入場するとさらに地下にあるライブ会場へと降りて行く。そこは300人ほどが入れる横長のホールだった。ステージの長さに比べて前と後ろの間隔が短く、一番後ろの席でもステージまで30メートルほどだ。

比較的若い整理番号を手にしたオオニシはステージ正面やや右手の前から2番目の席に案内され、すぐ目の前にあるスタンドマイクを見てその近さに驚いた。超一流のミュージシャンをこんな間近で見られるとは、なんと素晴らしい。

しかも、ライブが始まるまでの時間は、そのまま客席で食事や飲み物を楽しむことができる。まさに大人の贅沢と言うべきか。こういう遊びが似合うようになるなら年をとるのも悪くない。オオニシはそんなことを考えながら、注文したゴーヤのトマトスパゲティを口に運んだ。ちょっと苦すぎるか。

出された物は残さない主義だ。最後の一口を無理矢理口に押し込むと、それを待っていたかのように会場が暗くなった。一斉に歓声が上がり、ステージのスポットの中にナイル・ロジャース&シックが現れた。観客が総立ちの中、「1、2、Ah〜〜 Freak out !」といきなり始まると、会場はうねるようなベースと爆発的なドラム、切れ味抜群のカッティングギターに包まれ、それはまさにシックサウンドそのものだった。

演奏される曲は、どれも聴いたことのあるヒット曲ばかりで、オオニシを、いや会場全体を四半世紀ほど昔に引き戻した。あの頃ほど、魅惑的でファンキーなベースラインが溢れていた時代があるだろうか。そんなことを考えていると、途中のMCで、ナイルがさらりと、「今までで最高のベーシスト、バーナード・エドワーズに捧げる」と言ったのだ。

バーナード・エドワーズは、シックのオリジナルメンバーのベーシストだ。元々、シックはナイルとバーナードのユニットと言ってもいい。残念ながらバーナードは既に他界していて、その意味でのトリビュートだと思った。だが、実はもっと深い意味があったのだ。

後で知ったことだが、バーナード・エドワーズはちょうど7年前の4月18日、ここ東京のホテルで急死していたのだ。それは「スーパー・プロデューサー・シリーズ」のライブイベント中のことで、この日はそれからちょうど7年経ったバーナードの命日だったのだ。

そんな意味で、この日のライブはナイルにとっても特別なものだったに違いない。アンコールの最後の曲をナイルはこう紹介した。「シックの今までで最高の曲だ。」そう言って始めた曲は、あの「グッド・タイムス」だった。バーナードが生み出した最高のベースラインに乗せて、ナイルのカッティングギターが冴えわたる。ナイルにとって、この曲はバーナードが確かに生きたという証なのかも知れない。

オオニシにとってもこの日のこの曲の演奏は特別だった。それまでこの曲を好きになった経緯などはすっかり忘れていたのだが、それが1979年夏のアメリカでの体験とリンクしていたことを思い出し、同時にその時の様々な感情を呼び寄せたのだ。

それはまるで、埋められたタイムカプセルを開けたかのようだった。その頃の自分を思い出し、それから今までの自分を省みた。24年の間に、随分遠くまで来た気がする。思えば、為替ディーラーからネット関連会社と、常にバーチャルな仕事をして来た。もう一度、自分の仕事を見つめ直す時かもしれない。
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by martano | 2005-11-26 20:31 | マルターノストーリー


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