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2005年4月〜現在
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ピッツェリア・マルターノのオープンからあっと言う間に一年が過ぎた。全く無名のピッツェリアとして江田の住宅地の真中にオープンした店を、いかに周辺の人々に愛される店に育て上げるか、それが当面の課題だった。それに対する明確な答えはないものの、とりあえず止まることなく動き続け、何とか一周年を迎えた。

思えばこの一年間はダメを出し続けた一年でもあった。あらゆることにダメ出しし、その改善を試みた。しかし一年という時間はあまりにも短く、とても満足できるレベルには達していない。それでも、何とかピッツァの味だけは、記憶を頼りに改善を続け、何とかあの味を再現することに成功していた。

そんな中、思いも寄らない事態が発生する。何と小麦粉を輸入している諏訪角商店が、サンフェリーチェの輸入をストップすると通告して来たのだ。サンフェリーチェのアズーロピッツァは実は非常にデリケートな小麦粉で、高温多湿に非常に弱いのだ。このため前年の夏、大量のロスを出した諏訪角商店が一時輸入を見合わせるという決定を下した。

この決定は理解できるものではあったが、直ちに受け入れられるものではなかった。何故ならこの粉で作ったピッツァと他の粉で作ったピッツァとでは、味、香り、食感全てが決定的に違っていたからだ。オオニシの選択肢は2つ。代替の粉を探すか、サンフェリーチェの入手ルートを探すか、だった。

オオニシの決断は後者だった。オオニシは諏訪角商店と交渉し、空輸による1トン買いきりという条件で輸入代行を依頼した。ピッツァの原価は倍に跳ね上がり、保管リスクも全て負うという苦渋の決断だったが、オオニシはあくまでもサンフェリーチェの味にこだわった。

現在のところ、この決断の成否はまだ出ていない。その答えは来店してくださるお客様だけが知っている。だが、これだけは確かだ。日本中探しても、マルターノのピッツァはマルターノでしか味わえない。それほどこの粉は他とは違うのだ。

このことがあって、オオニシはついに腹をくくった。今までネット関連事業を本業、飲食事業を副業などとうそぶいていたが、当然そんなことでは勝負できない。どこまで行けるかわからないが、全力投球、全速前進あるのみだ。

果たして目論みどおり店は発展するのか?ナイル・ロジャースは呼べるのか?それは誰にもわからない。

マルターノストーリーはまだ始まったばかりだ。

(続く)
by martano | 2005-11-26 20:36 | マルターノストーリー
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