お金と市場、経済のこれから
そもそも、お金とは何か?

お金とは、価値の交換を媒介するものです。経済とは、価値の交換の総体だと私は捉えます。つまり、全員が完全に自給自足で、誰とも価値を交換しなければ、経済自体存在しない。厳密に言えば、生産が発生する段階で経済は発生するのでしょうが、交換が発生しなければ、誰もその生産物に価値をつける必要もなく、価値が生産されなければ、何もないのと同じと考えます。ですから、経済の本質は、価値の交換であるというわけです。

もし価値の交換が一切発生しなければ、お金は必要なかったでしょう。貨幣の歴史を辿れば、価値の交換方法としてまず物々交換が行われ、やがて便利な媒介物として貨幣が使われるようになりました。貨幣は持ち運びしやすく、共通の単位として機能します。それにより様々な価値が量られ、値段という価値判断基準を生まれました。いつしかお金は、交換し得る(と信じられている)全ての価値を背景に、それそのものが価値のあるものかのように使わるようになったのです。

しかし、本来、お金はそれに対する信用がなければただの紙切れです。誰もが価値を認めるものでなければ貨幣として信用されなかったのは、実はそう遠い昔の話ではありません。1ドル=1/35トロイオンスの金との交換を保証し、各国通貨が固定相場でドルにペグされていたブレトンウッズ体制までは、理論的には全ての加盟国通貨には金の裏付けがあったわけです。しかし、1971年にニクソンがドルと金の交換を停止し、ブレトンウッズ体制が崩壊すると、お金の発行母体、つまり各国政府への信用が金に代わって通貨の裏付けとなっています。

では、各国政府への信用とは何でしょう?何故我々はそれを信用できるものとするのでしょう?

それは、各国政府が国民を代表しているからです。もっとわかりやすく言えば、各国政府が発行する各国通貨への信用は、基本的にはその国民の生産性がそれを保証します。多少の誤差はありますが、各国の通貨の発行量というのは、大体においてその国のGDPに比例します。ということは、現代のお金の本質は、人間の労働力ということです。


現在起きていること

ここに一つの数字があります。現在の世界金融資産の合計は2006年のマッキンゼーレポートによると167兆ドル。世界GDPの58兆ドルの3倍以上もあります。もしお金の裏付けが人間の労働力とすると、お金が多すぎないでしょうか?何故そうなったかはここでは詳述しませんが、問題はその状況と、現在の経済状況とのギャップです。

通常、お金がその裏付けを超えて発行されると通貨の価値は下がります。従来前提としていた交換比率が維持できなくなるからです。ブレトンウッズ体制が崩壊したのもまさにそれが原因です。ベトナム戦争を背景とした財政赤字のため、アメリカが金保有量を超える大量のドルを発行せざるを得なかったのです。結果的にドルも暴落しました。

現在もドルは下落していますが、それもやはりアメリカの生産力に対するドルの過発行という意味で同じです。しかしここで指摘したいのは、世界の通貨全体を見れば、必ずしもお金の価値は下がっていないということです。むしろデフレ傾向にあります。逆にお金の裏付けである人間の労働の価値は低落傾向にあります。本来なら過剰流動性が労働市場に流れ込み、インフレを誘発しそうなものですが、全く逆です。一体何が起きているのでしょう?

これはつまり、労働賃金を押し上げるほど、お金と労働力の交換が行われていないということです。つまり、お金は余っていても、それで労働力を買おうとはしていない。理由は簡単です。今の資本主義では、労働力は単にコストでしかなく、最小化するのが正しいからです。人に投資する時は、それ以上の利益が見込める時だけで、あくまでも分母を増やし、人件費率は低く抑える前提は変わりません。

ここで一つのパラドックスに突き当たります。お金を裏付けているものは人々の労働力、つまり、それを使って人々を動かせるという力を行使してのみお金たり得るのにもかかわらず、それをコストと見なすシステムによって最小化され、お金だけを増やそうとしている。だから行き詰まっているのです。


これからの方向性

お金とは、それを持って人々を動かすことができるという意味で、非常に大きな力を持っています。だからこそ、お金を持つ人が、それを使ってどう人々を動かすか、ということは非常に重要です。各国政府、大企業、個人のお金持ちなどが、そのお金の力を正しく使えば、確実に幸せの数を増やせるのです。

「幸せの数」という言葉を私は敢えて使いましたが、非常に抽象的な言葉です。もちろん、統計のように数えられません。ただ、幸せの数が増えたか、減ったか、例え統計は取れなくても、我々は実感としてそれを感じることができるのではないでしょうか?この他にも、「愛」、「正義」、「伝統」など、眼に見えない、量れない、しかし、確実に存在する価値があります。

残念ながら、今の市場原理に基づく資本主義には、これらの価値を考慮に入れる機能は全くありません。市場化というのは、価格化できる価値のみの需給一致点を決めるシステムで、数値化できない価値は算入できないからです。その結果、「愛」や「正義」など、恐らく資本が儲けるだけの仕組みに歯止めをかけ得る最も大事な価値が除外されてしまっているのです。

それだけではありません。市場原理主義は経済効率の名の下、お金で量れない価値を暴力的に浸食し、破壊してしまうのです。この10年で、多くの価値が破壊されるのを我々は目の当りにしてきました。それを自由化の流れ、自己責任、自然淘汰として諦める風潮にありますが、本当にそれでいいのでしょうか?

自由化とは誰にとっての自由化だったのでしょう?既得権者が自由に活動できるようになっただけではないでしょうか?自己責任とは、選択の自由があって初めて言えることです。我々に選択の自由は増えたのでしょうか?我々は自然界に住んでいるのではありません。自然淘汰に任せず、守るべきものは守るのが人間界だと思いますが、違うでしょうか?

私は今こそ、システムを根本的に変える時期だと思っています。市場化によって除外されてきた、たくさんの眼に見えない価値観を社会システムの中に取り入れ、より長期的な視点に立った方向性を出して行く。それをやるのは市場ではありません。我々自身の哲学を政治に反映することによってのみ実現可能です。

今だに政府の大小や、規制強化や緩和かなどという時代遅れの議論が消えませんが、問題はそんなことではなく、いかに明確な方向性を適正な政府支出と法律で出して行くかです。お金で量れる価値しか等式に入れられない市場にはそれができないから、政治がそれをやらなければならないのです。我々にできることは、その方向性の議論を勉強し、参加し、情報発信して広めること。こんなブログもその一環で書いてます。

もう皆さんはわかってらっしゃると思いますが、お金に換算できない大事な価値は、我々の心の中にあります。正しい方向性が示され、その方向にお金が動けば、短期的には市場に反するようなことでも、きっとたくさんの人の心を動かすと思います。人の心が動けば、人々は動き、きっとお金も後からついて来ます。人のいないところに、お金はないのですから。
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by martano | 2010-12-14 17:56 | 社長のひとりごと
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